丹後ちりめん歴史館公式サイト
「衰退する地場産業をいかにして再生させるか。」丹後織物工場の跡継ぎ青年だったころの僕たちの取り組み日記です。
 自分自身と仲間のために書き下ろし資料として掲載しています。
全くの個人的日記ですので、内容についてのご質問はご容赦ください。 平成12年6月29日 1. 丹後ちりめん歴史館を作ることになった経緯について   丹後織物の135組合員で組織されている、丹織技術研究会の総会が行われた。   そのあと役員25人で、酒宴が始まり私は6人がけの円卓のひとつに座った。   隣席は同じ町のWさんでした。   Wさんは、5歳くらい年上で地域のボランティアにも熱心な先輩です。   明るい人柄で、丹後でも優秀な機屋です。   例年ならば絹織物の技術交流が主の会議なのだが、相次ぐ室町問屋の破綻で   会員の話題は先祖から受け継いできた織物業を継続することへの不安や、   技術を伝承していくことの難しさなど、話の流れは自然と新規事業や転職の話題へと   盛り上がりを見せた。   申し遅れたが、僕は8年前に構造的な不況の兆しが強まった室町への販売をあきらめた。   人間の本能的な危機感を感じて、3代目にして不本意ながら着物用白生地の室町出荷を止めている。   命の火が消えるかと思うほどの苦渋の2年間だった。返品商品の処理などで足が洗えるまでに、   8000万近い損失を出した。幸い命までは取られなかったので、   今では地元の観光ホテルや道の駅・SCにMAYUKOという名の店舗を構えて、   シルク製品全般を販売している。   僕の場合は、新規事業へ転換した機屋である。   話は酒宴に戻るが、6人がけの円卓では丹後で破綻した機屋の話題になった。   その話の中で、昨年の夏に破綻した地元のD織物会社の土地建物が   裁判所の競売にかけられるらしいことや、   町役場が地域の要望で競売に参加した場合には、その歴史ある建物や工場は取り壊されて   分譲宅地になる計画が話題になった。   子供の頃、母が機織りをする我が家の工場の思い出が重なって、会食の酒も苦い。 昭和40年頃の我が家の工場  わたしと妹   「なんとか残せんかなぁ」と、酒の勢いもあっていった一言に、隣席のWさんが   間髪いれず「競売に参加して、落としたら残せるで」と、お酒を注いでくれた。   僕の手がブルブル振るえて、おちょこの酒が少しテーブルにこぼれた。   10年前に宮津青年会議所で夢を語った、着物の里(シルクビレッジ)構想が一気に   頭の中で蘇ってきたからだ。   それは、観光と織物業を結びつけて、室町を通さずに消費者にシルクの良さを   PRしようという施設の構想だ。   「なんぼくらいかかるかなぁ」 独り言のふりをしてWさんに聞いてみた。   「4500坪もあるで、競売でも最低6000万円はかかるな」 ため息混じりの返事だったから   Wさんも心情的には残したいんやなぁと感じた、僕は少し安心した。   「3人で2000万づつ出して6000万、新規事業どうですか?」   僕の言葉にWさんは、にこっと笑って「あとの2000万は誰が出すかなぁ?」   と思いがけない返事が返ってきた。僕の手がブルっと振るえて、おちょこの酒がまたこぼれた。   本気だなと直感した。急いで周りのテーブルを見回した。丹織技術研究会長代理、網野町のKさんと   目が合った。冷静で明るい人柄で、頭も切れるKさんだ、僕の模範としてきた白生地のメーカーだ。   僕は指をさして、「一緒に仕事するなら、あのKさんしかないですね」と、いったら   気配を察して、「なにごとやなぁ」と、網野弁でKさんがお酒を注ぎにやってきた。   Wさんはまたまたニッコリ笑った。   ここから、僕たちの伝説が始りました。    つづく。 平成12年6月30日 2. 僕たちの運は良いのか悪いのか   今朝は少し酒が残っている。   夕べは、丹織技術研究会の総会で少々飲みすぎた。   午前10時に役場の産業課に呼ばれているから、朝シャンをして酒の気を抜いてから家を出た。  「野田川町観光産業ビジョンの委員長を今年も継続でやって欲しい」と、産業課長が言っている。   酒のせいかどうか頭が痛いし、気分も少し悪い。   そのなんとかビジョンというのは、昨年野田川町の新しい産業として観光を地場産業を結びつけようと、   半年かけて私たちが策定した将来構想だ。   漠然とした絵に描いた餅ではあるが、観光農園やシルク体験工房などの施設を民間の強調で   整備して、観光客による外貨獲得を目指すことを目的にしている話だ。   漠然とした絵に描いた餅、というのには理由がある。   農家は意外とガンコで協調性が乏しいし、農林の手厚い補助金事業になれているので自ら進んでは動かない。   シルク体験工房は昨年の夏にD織物会社が破綻したので、この他に協力してくれる大規模工場は見あたらない。   野田川町は温泉第3セクターで出資金返還問題など大もめした過去の事例があって、   3セク運営にお金を出す気がない。   根性がない、具体策がない、金もないというとんでもない状況だ。   したがって、どんなに素晴らしい提言をしたところで、お決まりのお役所仕事で終了する公算が強い。   だから、委員長を受けてしまうといつまでも残尿感や後遺症が残ってしまいそうだ。   やっぱり頭がヅキヅキする。   断ろうと思ったが、昨日聞いたウワサ話で野田川町がD織物会社の土地建物競売に参加して、    建物の活用をどうするのか、疑問もあったので、それを聞いてから返事をすることにした。   話の切り出し方を、10秒くらい考えてから    「丹後の機屋3社で、D織物会社の土地建物競売に参加する計画があるんだけど」と、課長に言ってみた。   「あっ・・・、その話もう一度助役に話してくれんか」といわれ、別室で助役に問い掛けてみた。   「地元区長から、道路・公園整備などの要望がきているし、万が一オウムのような危険団体に落とされても   困るので、議会の承認が得られれば町として競売に参加することもありえるな」   「その場合には、建物はすべて取り壊し町道や住宅地として整備することになるだろうな」という返事だった。   ガンと頭を殴られた気分だ、機屋としてはかなりのショックを受けた。   観光産業ビジョンを掲げていながら、なんという悲惨な結末だ。残尿感どころの後遺症ではすまん事態だ。   ヅキヅキする頭の中を、またまた着物の里(シルクビレッジ)構想が蘇ってきた。   「丹後ちりめん製織工程の見学コースを備えた、昭和40-50年代体験型のリゾート施設を開設したいんです   そのために、資本金6000万の新会社を設立して次の競売に参加することを検討してるところですわ」と、   思わず口をついて、夕べ語り合った新事業の話がペラペラと出てくる。   なんせ10年前に宮津青年会議所で居酒屋談義を繰り返した構想だから、   アイディアは頭にギッチリと詰まっている。   今から始まる野田川町の観光産業にとっても、私たちの新事業にとってもD織物会社の土地建物は   一番必要な施設だから、かなり力を入れて話してしまった。   しばらく助役は考えてから、「君たちが競売に参加する可能性は何%かね?」と聞いてきた。   僕は即座に答えた 「50%です」 WさんとKさんには事業として具体的な経営案も相談してないし、   まだ10%程度の可能性しかなかったが、この時点で僕の気持にはエンジンがかかってしまった。 「町の観光産業にとっても良い話だと思う。もし100%になったらもう一度話をしに来てくれ」と、   助役さんは席を立った。   役場からの帰り道、また、大きなボランティアを抱えることになるのかなぁと思った。   WさんとKさんと私の父をなんと説得すればよいか、観光産業の分野は自分の命の火が消えるかと思うほどの   決断をして選んだ仕事だから、商売として自信はもちろんあるけれども、未熟な自分もよく知っている。   まずやるべきことは、あと1ヶ月で6000万もの大金を段取りすることが出来るかどうかだ。      僕たちの運は良いか悪いか試してみたい。                        つづく 平成12年7月5日 3. ITの機器が役立ってきた   今日は、会社の試算表を銀行に届ける日だったな。   僕は、8年前に室町への出荷をやめることを決めたとき、   京都銀行の支店長や支店長代理に何度も相談に乗ってもらった。   おかげで、何とか今の仕事の形が出来たと思っている。   その時から、毎月月初めに仕事の状況や収支の状況を報告することが習慣になった。   今流行りの勘定奉行などのソフトを入れたIT機器は、その時すでにに導入していた。   パソコンの前で、画面をクリックすると損益計算書が表示されて、経営状態は一目瞭然である。   それまでは、会社には父の代の古くからの社員(いわゆる番頭さん)が何人かいて、   売上台帳などの分厚い帳簿を手書きで記帳し、3か月分まとめて計理士さんへ渡していた。   儲かっているのか損してるのか判断する為の試算表が出来上がる頃には、   半年以上経っているということが常だったのです。   しまったと思った時には、時間が経過してしまっていて後の祭りといった具合だ。   改善策をだす暇もなく、毎年の赤字決算書の前で反省する年が続いていた。   そんなドンブリで会社が左前になってきた。   やむを得ず番頭さん達に退職してもらって一人で製造・販売・事務処理・記帳業務を   こなすことになり、結果的にIT機器が揃ったという訳だ。   だから僕はパソコンに詳しい。 でも未だにひらがな入力しかできない。ブラインドタッチも出来ない。   でも、htmlも書くし販促用のポスターやチラシも自前で作っている。   宣伝費や印刷にかける経費がなかったので、自然と覚えてしまった。   人間生きるか死ぬかの事態に陥れば、生き残る為の知識や技術は身につくものだなと我がことながら感心する。   今日は銀行の支店長代理とお話をする日だったので、   機屋3軒で夢見た話を絵にして見せることにしようと決断し家を出る。   銀行について、雑談を済ませたあと、この創造図をさりげなく開いて見せた。      「専務さん、これはほんまですか?」 「もうすく競売ですよ!」と、支店長代理。   聞けはどうやら、D織物会社の土地建物はこの銀行の担保物件だったらしい。   そうと分かれば心強いかぎりである。  「本部に聞いて、競売日の情報を調べてくれんかなぁ」   そうお願いしてから帰宅した。  ITの機器が役立ってきたと思った。     つづく             平成12年7月20日      朝市の主催をしてみた。   宮津シーサイドマート・ミップルにMAYUKOの直営店がある。   2ヶ月くらい前に、核店舗のさとう社長が召集した全店会長会に出席した時に、   ショッピングセンター(SC)の競争が激烈となっていることを聞いた。   限界にきたディスカウント競争。大型SCの建設計画。消費者の生活防衛志向などである。      ミップルの場合は幸いなことに、観光地に立地している為(宮津湾を眺めながら食事ができる。)   リゾートと関連したイベントに適している。   会議から帰って、そのことをミップル店長に報告すると、 観光客向けに何がしかのイベントを企画して欲しいという。         2年後には宮津インターチェンジが開通する、ミップルの真正面に高速道路インターからの 支線が着くのだ。   その時には、トイレ休憩や食事、キャンプの買出し客は必ずミップルに立ち寄る筈だ。   土日に地元主催で朝市を企画すれば、必ずあたる。   店長からぜひやってくれと頼まれ、今日の日を迎えた。   以前にも書いたが、農家は意外とガンコで協調性が乏しいし、   農林の手厚い補助金事業になれているので自ら進んでは動かない。   町会議員のK議員(西陣の帯を織っているが、副業で椎茸の栽培もしていてる)と、共に   八方手を尽くして、ようやく開店した。 結局、専業の大規模農家には無視をされたが、久美浜の果樹園をやってる仲間が   応援に駆けつけてくれた。   しろおと企画でのスタートとなったが、やってみると実に楽しい。   久しぶりに販売の現場に立つ喜びが湧き出してくる。自然に「いらっしゃい!いらっしゃい!」と   声が出る。

商品アイテムは、しいたけ きゃべつ たまねぎ なすび  メロン スイカ カブト虫 縮緬半衿 スカーフ 煎餅 乾物  品数が少なくてダメかと思ったが、2日で15万の売上があったのでやれやれと一息ついた。  これはこれでいけるなと感じた。 この達成感がなんといっても嬉しい。  歴史館の立ち上げ後には、ぜひ朝市をやりたいものだ。 平成12年7月21日   3社で出会い、やるかやめるか最後の決断をする日   峰山町の料理屋で、やるかやめるか決断のために会合を持った。   丹後ちりめん製織工程の見学コースを備えた、昭和40-50年代体験型のリゾート施設を開設する。   そのために、資本金6000万の新会社を設立して次の競売に参加することで合意した。   非常に緊張した。   細かなことは、日記といえども競売入札が済むまではとても書けないので、あとで記すことにしよう。 あとは僕たちの運にかかっている気がする。 平成12年7月25日   丹後織物工業組合は8月で本部を峰山町に売却して、隣町の大宮町にある   中央加工場に引っ越すことになった。   本部を構えて以来80年の歴史に一旦幕をひくにあたり、   蔵に保管していた資料を一般公開した。   丹後織物所蔵品展である。   昭和28年若尾文子 昭和26年縮緬生産工程秘蔵写真    7月30日まで開催されて、私も3回写真撮影に足を運んだ。  あらためて地場産業の重みというか先人の偉大さを見た気がした。  今の私達には無いフロンティア精神に溢れた生き様に、ただただ感動するばかりである。 平成12年8月1日   5.会社設立と入札までの日程は次の段取りだ。    父の会社を受け継いで以来、44歳にして初めて自分自身で会社設立をすることになった。    思い立ってから1ヶ月間の突貫工事となった。       8月3日  監査役の依頼  山川経理事務所の松宮繁雄先生へ    8月5日  会社定款の確認と捺印  各自印鑑証明を準備    8月8~9日 指定の口座へ 各自資本金500万振込み    8月10日 大安   法務局へ登記申請  小牧司法書士    8月11-13日 最終入札価格の決定   渡辺 今井    8月16日   登記完了後 入札用資格証明2通を取得  今井    8月17~18日      入札手続き      今井    8月21日         入札締切日    8月28日         開札    9月上旬    取得できた場合、指定の口座へ残金各1500万振込み 資本金を6000万に増額する。 平成12年8月14日   6.14日~21日 競売開始の予定日 14日、月曜日、渡邉さんは新会社の印鑑を私に手渡すと、生絲商社のカネボウとブラジルへ    視察に飛び立っていった。事前に2人だけで入札価格は総額5750万に決定した、    最低価格が4900万なので800万程度を決意の表れとして上乗せした。    世の中はお盆休みですっかりリゾート気分だが、    一世一代の大仕事で、僕のお盆は目の回りそうな1週間になる予定だ。    15日、火曜  網野の友人から電話が入り、ゴルフに誘われた。    僕の趣味は旅行とゴルフ。とくにゴルフはスポーツとして26歳から初めて    バブルの崩壊で事業転換したときに一時休止していたが、健康管理に今年の正月から    近くの練習場へ再び通いだしている。いい玉が打てるようになってきた時だったので、    ストレス解消をかねて誘いに応じた。    友人も大きな機屋だ。 おそらく破綻したD工場の取得の話を聞いて、誘ってみる気に    なったのだろうか。    結果は、自己最高の37-37=74が出てダントツの優勝を飾った。    何年かぶりに、爽快感を全身で感じた。なんとなくだが、    気力が充実してきているように思える。    やればできる、思い切って全力投球するのみだ。    3人の機屋で達成感を味わいたい。        16日、水曜日     会社設立登記が完了した。    「㈱丹後ちりめん歴史館」今日から、その会社自体の歴史が始まる。    入札に必要な資格証明や登記簿謄本を取得して、金融機関に口座を開くことにした。     メインバンクは、渡邉さんの意向で京都北都信用金庫。    17日、木曜日      工業組合の中央加工場で思いがけない大事故が発生。     ボイラータンクから34キロリットルものC重油が溢れ出し、竹野川を汚染してしまった。     職員300名、ボランティア300名と共に、重油の回収作業に奔走した。    19-20日、朝市の準備を済ませてから、重油の回収作業。        21日、月曜 午前10時    京都北都信用金庫、野田川支店から入札の保証金980万を振り込む。    その後、支店長に書類のチェックをしてもらい、裁判所に向かった。    午前11時30分、裁判所の西中審議官に入札書類を提出。            28日の午前10時に結果出た。    約5,800万円で落札。 平成13年1月10日        丹後ちりめん歴史館 開設に向けて館内の清掃整備に着手開始。    Open予定を2001年秋に定める。    
僕たちの夢

                  平成22年4月19日、地元の新聞に紹介されました。

試行錯誤を繰り返し、13年の年月が過ぎて57歳になりました。 このページ記載の文章は今井織物株式会社 代表取締役 今井英之の個人的な日記です。
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今井織物株式会社 丹後織元 今井英之 家業の織物業に従事して、44歳~57歳現在までの経緯



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