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「丹後ちりめん歴史館」の概要

 

昭和十年当時の風情を残した玄関周辺。奥には日本の産業遺産として希少なノコギリ型三角屋根の工場群が続く。次世代に伝えたい丹後の文化財・日本を支えた産業遺産である。ノコギリ型三角屋根の織物工場のメリットは、直射日光を遮断して、西窓からだけの柔らかで安定した自然光の間接光線を取り入れることができる。それにより手に影ができない利点がある。3,700本もの経糸の動きを肉眼で確認しながら仕事ができる工夫が為されている。

「丹後ちりめん歴史館」では江戸時代中期から300年に渡り、伝承され守り継がれた絹織物の生産工程が見学できます。所在地は、与謝野町内にある老舗の織物会社跡地。(約14,000平方メートル)1903年に創業を開始し、昭和34年の天皇陛下ご成婚に際、同社が製織した着物を結納の品他にお使いになるなど、業界でも名門として知られていましたが、繊維業界の流通構造不況により廃業、工場跡地の活用が注目されていました。「ちりめんのルーツともいえる丹後の顔だった工場を残して欲しい」という地元の声に押されて、丹後地区で絹織物製造を営む織物会社3社が施設を取得。古民家再生等で著名な建築設計家の野井茂正氏に建築リフォームをお願いし昭和初期に建設された歴史的産業遺産の縮緬工場を再開。全国建築設計リフォームコンテストでは第2位を受賞し、さらに関西企業ミュージアムとして認定を受け一般の方にも無料公開している。年間約四万人の来場者がある。

 

丹後ちりめん発祥の歴史

 

 丹後地方には古墳から絹織物が出ている等、他の養蚕の盛んであった地域と同様に早くから絹織物が作られていた記録がある。奈良時代、天平年間に「あしぎぬ」を調貢したとあり、正倉院御物のうちに現在でも残されている。シルクロード伝来の絹織技術を駆使し、絢爛豪華な織物の里として室町鎌倉時代の権力者に徴用されてきた。今から約300年江戸時代中頃に入ると丹後地方地場産業は、当時の宮津藩が力をいれていた養蚕業(ようさん)となったが、江戸時代まで織継がれてきた丹後の「絢爛豪華な絹織物」は、貴族や神社仏閣用途の高級品であった為に需要も少なく次第に衰退していった。この頃に、先人達の粘り強い努力によって「丹後縮緬」が生まれる事になる。その始まりは江戸時代の享保年間である。この時代丹後地方は天候不順による飢饉が何年も続き、若者たちは農業の不振により京の都への出稼ぎに赴いていた。地場産業の再興を目指す峰山藩の絹屋佐平治(森田治郎兵衛「ちりめん織の始祖」)と宮津藩の山本屋佐兵衛、手米屋小右衛門の3名が時をほぼ同じくして西陣に赴き、機屋に奉公に入った。当時庶民に人気があった織物が「西陣のお召ちりめん」であった。ちりめん織の技法は主として横糸の撚糸に有る。撚糸の工夫はその糸の太さ、撚り回数に加えて熨斗の掛け具合などに機屋ごとの「門外不出の秘伝」があり、これらにより生地表面に独特のさざ波のようなちりめんシボが生まれる。「門外不出の秘伝」は、苦労を重ねた上で「八丁撚糸機」(はっちょうねんしき)として伝授され、あるいは密かにその真髄を盗み出し、ちりめん織の技法を覚えた3名は、国元へ帰りちりめん織を始めた。当時流行のちりめん織の技法故、これが丹後にもたらした恩恵は計り知れないものがあった。この3名は請う人がいれば臆することなく教え、瞬く間にちりめん織が広まっていったのである。これにより丹後はちりめんの産地としての地場産業基盤が出来上がった。

 

産業革命と丹後ちりめん

 

 鎖国を解いた明治時代に入ると、ヨーロッパよりジャガード装置の付きの織機が輸入されるようになった。当時の明治政府は国の為になる産業を興せという「国是」(こくぜ)を発令した。明治5年(1872)群馬県富岡の地に日本で最初の官営模範器械製糸工場「富岡製糸場」が創建された。 明治29年には京都府いかるが郡綾部町に、当地いかるが郡の振興を目的とした「郡是製絲株式会社(現グンゼ)という會社が設立される。蚕糸・紡績業が国家事業として、力が注がれていた明治期にあって、早くから海外に生糸の輸出を開始し、高い評価を得ると共に、また海外の拠点開設も早い段階で行われていたことから急速に「郡是製絲株式会社」は業績を拡大してゆく。さらに付加価値を求め、明治30年京都府与謝郡野田川町岩屋村に、丹後で初めての絹織物会社が設立された。現在の「丹後ちりめん歴史館」である。当時は「国是」に従い、外貨獲得の手段としてヨーロッパのご婦人向けブラウスやスカーフなどのシルク生地を織り上げた。日本のシルク生地は品質が良くて価格も安いとの評価を得て、輸出先の北イタリア、ミラノ近郊に点在する染色工場に販路を拡大し外貨を獲得、明治政府の国策に貢献した。

 

・新しい丹後ちりめんの幕開け

 

 幾多の苦難の道のりを経て、歴史と共に成長発展してきた織物である丹後ちりめんは、現在その用途を着物から婦人服へ絹からレーヨン、そして合繊へと拡大させ、昭和四十五年頃より合繊ちりめん「ポリチリ」の開発に着手し、現在に至っている。これを期に丹後の総合産地化が具体的に始動し洋装への進展がスタートし、丹後独特のファッションの育成と、そのトップレベル化を目指し、技術の研鑚と工夫を重ね、今日の揺るぎ無い特化産地として君臨するまでに成長した。丹後独自の「八丁撚糸」この強撚糸の持つ特性により、しなやかで、光沢があり、ハリと腰、ドレープ性といった総合特性を有する生地として、他のまねの出来ない、文字では表現出来ない風合いを持つ丹後ちりめんの服地が出来上がるのである。現在では、この丹後ちりめんは、丹後の歴史が脈々と息づき、見事に完成された感性豊かな織物としてファッション業界に認められている。又この製織技術と平行して精練加工に置いても、精練職人の手により一点一点吟味し、独創的技術を駆使し、奥ゆかしい、ちりめんシボの発現と、しなやかでドレープ性豊かな、格調高い商品として今日に至ったのである。

 

丹後ちりめん歴史館設立の趣旨

 

丹後に伝承されてきた絹織技術を後世に伝えるために、地域の織元が専門技術を持ち寄り、高付加価値化への早期転換を目的として丹後ちりめん歴史館が設立されました。織物と染色の連携したイタリア・コモ市に見られるような一貫生産型の産地を目指し、丹後織物の新しい染め織り技術の向上と新しい分野への販路開拓を最大の目的としています。

崩壊の危機に直面している伝統的地場産業を如何にして伝承し再生させるか。このことは日本国内に現有する他の地場産業にとっても大きな課題である。「職人の芸術」ともいえる陶芸品や着物など、日本には後世に残すべき大切な文化が各地に伝承されている。しかしながら日本の伝統産品の流通は複雑で閉鎖的な為に消費者ニーズが産地まで届かない現状がある。いわゆる構造不況業種と呼ばれる流通事情である。昔は日常的必需品であった着物も、経済成長が続きバブル時代になると友禅染め職人は芸術家や作家に仕立て上げられたりして、着物は美術品並みに高額となり何百万円もの着物も販売さるようになってきた。丹後織物産地では広く丹後シルクの販路を拡大するべく新製品の開発を進めているが、既存の複雑な流通に対して産地や職人の立場は弱く、消費者まで「絹織物の優れた品質と技術」を伝えることができない現状である。

「丹後ちりめん歴史館」では新しい丹後シルク産地の姿を、エンドユーザーに直接紹介し、流通構造不況の打開策として完成品づくりの為の技術開発を進めている。今回整備された「丹後ちりめん歴史館」は、いままでの縮緬工場の機能に加えて最先端のデジタル染色の設備を設置、京都府の和装業界では初めて取り組むイタリア・ミラノ形態を取り入れた織りから染までの一貫生産型絹織物ファクトリーである。イタリアのコモ市にみられるような常設展示場を備えた工場となっている。館内のアンテナショップでは丹後シルクの生地も少量から購入することもできる。

 

執筆責任者名 丹後ちりめん織元 今井織物株式会社 MAYUKO絹工房 代表取締役 今井英之
所在地:〒629-2314 京都府与謝郡与謝野町岩屋315 丹後ちりめん歴史館 内
   Tel 0772-42-2220,Fax 0772-43-2244
Tango-chirimen History Museum