繊細なシボから生まれる 独特の光沢感が美しい 丹後ちりめん

繊細なシボから生まれる 独特の光沢感が美しい 丹後ちりめん 繊細なシボから生まれる 独特の光沢感が美しい 丹後ちりめん

経糸(たていと)に撚りのない生糸、緯糸(よこいと)には1メートルあたり3,000回前後の強い撚りをかけた生糸を交互に織り込むことによって糸が収縮し、細かい凸凹状の「シボ」ができる「丹後ちりめん」。
シワになりにくく、しなやかな風合いに優れ、色合いが豊かな、深みのある色を醸し出すその技法は、シルクだけでなく、ポリエステル、レーヨンなどの素材にも応用されています。

丹後ちりめんに触れる

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次世代に残せ丹後の文化財・
日本を支えた産業遺産
THE SILK FACTORY EXPOSITIONS AND THE HISTORY MUSEUM OF SILK

 

明治政府発令の国是(こくぜ)により、明治5年(1872)群馬県富岡の地に日本で最初の官営模範器械製糸工場「富岡製糸場」が創建された。 明治29年には京都府においても国是に基づき、何鹿(いかるが)郡綾部町発展のために「郡是製糸株式会社」現在のグンゼ株式会社が興され、これを中心に据えて養蚕の奨励が進み、明治36年に付加価値の高いシルク製品を生産する目的で大規模織物会社が興された。 これが現在の丹後ちりめん歴史館である。 当時は北イタリア、ミラノ周辺の染色工場へ品質の良いシルク白生地を輸出し、明治、大正、昭和初期にかけて日本の外貨獲得に貢献したシルク工場です。 あの頃あの時代、懐かしくてノスタルジックな絹の空間を体感できます。

By the national policy of the Meiji government official announcement, the first government management model instrument silk mill "Tomioka silk manufacture place" was built on the background of Tomioka-shi, Gumma in Japan in Meiji 5 (1872). The large-scale textiles company was revived in Meiji 29 in order to produce the high silk textiles of added value by a national policy also in Kyoto. This is the present Tango silk crape history hall. It is the silk factory which exported quality silk white cloth to the dye works around north Italy and Milan those days, applied in early stages of Meiji, Taisho, and Showa, and contributed to acquisition of foreign currency of Japan.

今井織物株式会社